● 官僚たちの夏
2009年7~9月期 TBS系で毎週日曜日21時から放送されたドラマ
●新ドラマ「官僚たちの夏」の第1話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」
なんとなく、キャスティングが映画版とTV版の「クライマーズハイ」、それに「華麗なる一族」風味のティスト ちょっと「え?」と思ったのは テーマ曲が「鹿男あをによし」のまんまパクリかと思ったら「音楽 - 佐橋俊彦」という事で 作曲家が同じだったのね。^^;
私で言えば父親、一般的に言えば爺さん達の世代が 戦後の高度成長を実現した事は賞賛に値する事だし、子孫としては きちんと学ばねばならない事だと思う。
ただ、問題は こういうドラマの場合、TBSは時として「一部はフィクションです」みたいな断りを常套手段として なんらかの作りを混ぜ込む傾向がある事を気をつけないと^^
昨今のだらけた 何処の国の為に働いているのか判らない様な官僚達に、戦後復興を支えた気骨を思い出させたい…みたいな意図であれば大いに賛同したいところだが、1話を見た限りでは なんか美談仕立てで「通産省って こんなに頑張ってる省庁なんです」って提灯番組で終わりそうな気がしてならない。
せめて、ラストに「これは昔の通産省が舞台の話で 現在の経済産業省とは無縁です」みたいなテロップを入れてくれれば笑えるのだが。
●ドラマ「官僚たちの夏」の第2話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」
第1話が自動車で 第2話がTV、そして来週第3話は繊維工業か…
感想を述べるのは あと数回、見てからにしたいと思う。
●ドラマ「官僚たちの夏」の第3話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」
ちゃんとした感想を述べるのは あと数回、見てからにしたいと思うのだが…
今週の第3話を見ていて ふと感じた事は

通産大臣と繊維局長の会話など アメリカの重圧に屈する日本とか、多くの中小企業を路頭に迷わせる事を「やむを得ず」良しとする姿… 当時、実際に苦労した方やそれらの身内の方々には そんな通産大臣や役人の選択は今でも許し難い事かもしれない。
ただね… その時代をよく判っていない若者が このドラマを見て、どう思うのだろう? ふと、私はその点が気になって仕方が無い。
高橋克典が演じる小役人は 実に巧く演じられていると思うし、彼の様な小役人も実際に 当時の通産省には存在したのであろうとも思う。
しかし、彼の演技が巧いのと その演じているキャラクターが悪役的ポジションである事から 彼の言動で船越英一郎が演ずる繊維局長や 白犬の演じている通産大臣の全てが悪役的に必要以上に色づいて見えてしまう事… そこが私の気になる点なのだ。
敗戦後の世相や世界情勢、当時の日本のおかれた立場などを考えた場合、佐藤浩市が演ずる主人公の言い分には かなりの理想論が含まれている事を知っていると、必ずしも大臣や繊維局長の全てが悪とは言いきれない部分がある。
しかしながら、ドラマでは そんな背景がちゃんと描かれているとは思えず、たかがドラマの話ではあるが、間違った近代史の先入観につながらないか… 今週の第3話は 見ていてそこがとても気になった。
●ドラマ「官僚たちの夏」の第4話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」
今週の第4話を見ていて感じた事は

「池内信人」 誰が見ても「池田勇人」

「須藤恵作」 誰が見ても「佐藤栄作」
どうして、誰が見ても判る実在の人物を バレバレの仮名にするのだろう?
ちゃんとしたヒストリーを踏襲するのであれば 半端にバレバレな偽名など用いず、実名で描けばいい
逆に、フィクションドラマを描きたいのであれば あたかも実在の人物をモデルにした…みたいな描き方は食品の偽装表示みたいなモンで 良い意味でも悪い意味でも、ともすれば故人を冒涜する卑怯とも受け取れる。
基本的に原作は前者であり、ノンフィクションのドラマ化小説という意味合いながら、作者なりの配慮で偽名にしたのであろうし、その代わり人物描写や背景描写にもそれなりに配慮があったから容認出来るが、どうも このドラマは人物描写や背景描写がところどころおざなりなので違和感を覚えるし 説得力に欠ける感が強い。
●ドラマ「官僚たちの夏」の第5話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」
今週は 感想は無い。
●ドラマ「官僚たちの夏」の第6話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」
今週は 感想は無い。
●ドラマ「官僚たちの夏」の第7話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」
ふと思った事は ストーリー内の時間の経過を 村川絵梨が演じる娘の成長で間接的に表しているんだろうなぁ…って事。
●ドラマ「官僚たちの夏」の第8話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」

YS-11のエピソードを こんなにあっさりと片付けて欲しくなかったなぁ…^^;
●「官僚たちの夏」の最終話を見た。


「堺雅人」

「村川絵梨」

「田中圭」
最終話を見終えた事で 少しだけ真面目に感想などを述べておこうと思う。
城山三郎による原作については 別の機会があればその時に述べようと思うので、今回はあくまでの このドラマ版についての言及とするが…
話の内容もさることながら、私としては一番気に掛かるのは
「何故、この時期に”官僚たちの夏”のドラマ化なのか?」
…って事。
「官僚主導政治からの脱却」なんて民主党が言ってる中で かつては通産省の中にこんな話がありました…なんて事を どういう意図で盛り込んだのか
須藤とか池内って政治家の名前が 佐藤や池田だって事は誰の目にも明らかなのに 何故、偽名で フィクションとノンフィクションの境目をボカして描くのか?
私は この「官僚たちの夏」に限らず ノンフィクション系のドラマの描き方にはかねがね疑問を抱くのは 先述した境目をボカして描く事で 例えば実在した人物に対する配慮…というタテマエは判らなくも無いが、政治家や官僚というのは 言わば国民の為の仕事をする事が責務なんだから むしろ、実名でちゃんと ~な事を言ったりやったりしたんですと、良い事も悪い事もハッキリと描くべきだし 描かれる事に遠慮も配慮もしてはいけないとも思う。
沖縄返還の条件として 例えば繊維業が打撃を被った…という話は本当だし 本当の事なんだから犠牲になった方々の為にも ちゃんと事実をフィクション抜きで描くべきだと
もし、このドラマが今の政権交代を見越した話題性だけで制作されたのだとしたら フィクション風味の加味は必要悪だと思うし、見越した制作なのだとしたら この「官僚たちの夏」よりも「小説・吉田学校」をじっくりと腰を据えて描くべきだと思う。
